2006年5月29日月曜日

お願いです。かまさないでください

うちの息子はけっこう音楽が好きで、ケーブルテレビの音楽番組を毎週録画してビデオクリップを作っては、iTunes(ア イチューンズ。Appleが作っている音楽等再生ソフト、Windowsでも動く)に取り込んでいます。けっこう手間がかかる作業ですが、ちょっと教えた ら覚えてしまって、楽しんでやってくれております。お陰で、iPodにも息子が取り込んだ曲が増殖中です(家族で楽しむ分には、合法だと理解しておりま す)。

最近「気分上々↑↑」なる曲がランキングの上位にいるようで、それもしっかりiTunesやiPodで聴けるようになりました(アップルさん、ごめ んなさい。最近iTunes Music Storeでほとんど有料の曲を購入していません。お詫びに広告↓を載せておきます(^o^))。

「気分上々↑↑」という曲、とてもノリがよくて、気が付くと「気分ジョウジョウジョジョウ」などと口ずさんでいる自分がいます。ところが、この歌の 詞がどうも気にかかる。出だしを歌う女性ボーカルが「ヘイDJ、カマセ、イェイイェイイェイ」と宣うのです。「かまさないでよ。公の場で。特に女の子から カマスなんぞと言われたひにゃ○△ものも○×ませんぜ」と思う私は旧人類? 

翻訳講座の課題の添削をしていると、「カマセ」みたいな単語を使っ ている受講生の方が時々いらっしゃいます。新聞記事の翻訳で「○○はオリンピック女子100メートル走の出場権を得た」などという訳(やく)がときどき提 出されてきます。「運動会じゃないんだから、オリンピック選手に100メートル『走』を走らせないでよ」と思いながらやさしく(辛辣に?)コメントを書く わけです。

まあ、この「カマセ」は「100メートル走」とは違って「確信犯」で、目を(耳を)引くためにやっていらっしゃるのでしょうが、あのボーカルの女性の雰囲気を壊していると私は思うのです。次の曲では、もっと過激な言葉を宣うのでしょうか?

お願いです。作詞家の皆様。ご自分の飯の種である日本語を大切にしてくださいませ。

2006年5月21日日曜日

Mac: Mac Miniを買いました

Mac mini を買いました。Macintoshは前はIBMやモトローラが作っているPowerPCという処理装置(CPU)を使っていたのですが、去年、ウィンドウズ機などで使われているインテルのCPUへの乗換を発表して、現在ラインナップをインテルCPUを使ったものに変更中なのです。

ソフトを開発する側からするとこれは一大事なのです。プログラムをゼロから作り直さなければならない! CPUが変わってしまったら実行させる命令がまったく変わってしまうのですから大変です。今までは社長が米国人で、英語で話をしていればよかったのが、フランス人の社長が来てフランス語で話さなければならなくなったようなものです。

ところが、優秀な通訳がいれば別に新たにフランス語を習得しなくてもよいわけで、アップルはきちんと優秀な通訳を用意してくれました。設定を1カ所変えて「コンパイル」という作業をすれば、20分もすればDictJugglerのインテルCPU版が完成、というわけです。

この作業(コンパイル作業)は、従来の機種でもできるのですが、従来の機種でテストはできません。単にコンパイルをやり直せばインテル機でも動くといわれていても、何が起こるかわからない。「すみません、社長のフランス語、なまりがすごくて私にはわかりません」と通訳が言い出さないとも限りません。「インテルCPUに対応しました!」と触れ回ってから「おい! 動かねえぞ!」というクレームが来てはたまりません。そこで、Mac miniを買いました。

現在発売されているMac miniのCPUはインテル製なので、インテル版で動くかテストできるというわけです。結果、問題なく動作することがわかって、無事テスト版(RC1)を公開したというわけです。

このMac mini、我が社の中で最速のMacだったのですが、今は私の机の上にはありません。今は、自宅の居間のテレビの横にちょこっと置かれています。私は以前から使っていたちょっと古いノート型のMac(PowerBook)を使っております。Mac miniには普通の方法ではモニタをひとつしかつなげません。しかし、ノート型だとノートのモニタの他に外部モニタをつなげばひろ〜い作業領域が確保できます。このスタイルに慣れてしまった私は、しばらくMac miniを使ってみたのですが、どうしてもモニタひとつではやりにくくて仕方がない。そこで、前から使っていたPowerBookに戻ってしまったというわけです。

Mac miniをテレビの横に置いたら、これがとても便利なのです。うちの現在のテレビは、昔モニタ兼用に買った液晶テレビで、テレビも見られるしパソコンのモニタにもなるやつです(当時は20万円近くしたのですが、6年たった今でも現役で活躍しています)。Mac miniには「フロントロー」というリモコン機能がついているので、食事をしたりお茶を飲んだりしながら、Macに入っている音楽を聞いたりミュージックビデオを見たり。皿洗いや掃除をしながらポッドキャストの『聞く日経』や『ぽっどきゃすてぃんぐ落語』を聞いたり。さらには、インターネット経由のテレビ放送Gyaoを見たり。GyaoはWindowsでしか見られないのですが、Parallels Compressorというソフトを使うとMac miniがWindows機に早変わり。Gyaoも問題なく見られてしまうのです。いやー、Virtual PC(Power PC機で動くWindows実行用のソフト)とは速度が大違い。「全画面表示」で動かすとまるでWindows機を使っているような気分であります。

武舎広幸の大予想(1)

もうじき、AppleからIntel Mac上でWindowsを実行できるソフトがリリースされて、それがすべてのMacにバンドルされる! じつは、CPUをIntelに変えると決めたときにはこの計画はすでに開始されていた! Macを買えばWindowsも使えるというのがAppleの売りになるのです!

PowerPCで動くソフトをIntel CPUで動かす技術を持っているAppleが、同じIntel CPUで動いているWindowsを動かせないわけがありません。やらないとすれば、マーケティング上の判断でしかありません。Appleにできないわけがないのです。

(この予想が当たらなくても、責任は取りかねますのであしからず)


6月11日追加: 本日、久しぶりにGyaoを見ようとしたところ、上記の環境では再生できなくなってしまっていました。原因がどこにあるのかわかりませんが。う〜ん。

2006年5月19日金曜日

英会話を習うのはネイティブから?

昨日、電車に乗っていて英会話学校の宣伝を見ました。いくつか見たのですが、どれにも「ネイティブ外国人講師」というのが書いてありました。これを見ていてどうも気になりました。本当に「ネイティブ」が教えるのがよいのでしょうか?

本当に「正しい」英語かを判断するのはもちろんネイティブにしかできないのですが、どのネイティブスピーカーでもそれができるかというとそれは疑問です。日本人だって、おかしな日本語を話す人はいっぱいいますし、私のように他の人の書いた文章を直してお金をいただいているようなものもいるわけですから、ネイティブスピーカーだからといって正しい英語を話す人ばかりだということは絶対にあり得ません。「ネイティブならば誰でもOK」という訳にはいかないことは明らかです。

もうひとつ、「ネイティブにはできないこと」があるのではないかという点が、今日の私の主張です。何かというと、英語をゼロから「意識的に」学んだという経験です。ネイティブスピーカーはその定義から明らかなように「無意識に」英語を学んでいます。したがって、英語を身につけることに対して努力はほとんどしていないのが普通です。ということは「自分にこういう方法が役に立ったから、生徒さんにもこの方法は有効だろう」というものをまったく持っていないわけです。また、「日本語的感覚からするとこう言って大丈夫だと思うんだけれど、じつはそうは言わない」といったアドバイスもできないわけです。

経験豊富なネイティブ講師、とくに外国語を自分で学んだことのある講師ならば、「日本人は(外国語学習者は)どんな間違いをしやすいか」といった点に対してかなりの知識を持っているでしょう。しかし、そんじょそこらの新米ネイティブ講師にこれができるわけもないと思うのです。ほとんどの日本人は、英語を成長してから学んででいるわけですから、「意識的に」学ばなければなりません。そのときのノウハウは「無意識に」語学を学べる子供たちに教えるときとは当然ちがっているはずだと思うのです。特に、初級、中級レベルの人に教えるときには、「ネイティブ」であるかどうかはそれほど大きな判断材料にはならないように思うのです。むしろ、教え方が上手かどうかが問題にされるべきでしょう(もっと言えば、本人のやる気が第1ですけど)。

単に「講師はみんなネイティブです」と書かれていたところで、それは「教え方の上手、下手については関係なく採用しています」と宣伝しているようにも思えるのですが。

2006年4月27日木曜日

アップル・コンフィデンシャル2.5J発売

『アップル・コンフィデンシャル2.5J』(上巻+下巻)が発売になりました。林信行さんともう一人の方が1.0の翻訳を担当なさったのですが、林さん担当分はテキストデータをいただいて、それをベースに訳し直して、また追加分は新たに翻訳しました。

2.5Jとなっていることから想像できる方もいらっしゃる思いますが、原著者のリンツメイヤーさんが書かれたのは第2版の『2.0』。それに林さん書き下ろしの分が7章ほど加わって、『2.5J』というわけです。

翻訳作業はは、あまり技術的に細かくない部分は家内がまず翻訳して私がチェック、技術的な話は私が最初から翻訳という分担で進めました。1.0と共通の部分も、もう一度しっかり読み直しましたので、全体では最初から訳すのとあまり変わらないくらい時間がかかってしまいました。でも、アップル関連の本の翻訳はとてもやりがいがあります。

私の書籍翻訳のデビュー作も『マッキントッシュ物語』というアップル関連の本でした。それ以来、久しぶりのマック関連のノンフィクションの翻訳になりました。アップルについてはさまざまな書籍が出版されていますが、どれを読んでも熱くなります。しかし、この手の本を読むといつも思うのですが、なんというめちゃくちゃな会社でありましょう、アップルという会社は。「運」がよかったんでしょうね。もちろん、それだけではないですが、運が悪ければ10回ぐらいつぶれてますね。

そう言えば、この本の翻訳はDictJugglerの開発と並行して行われました。以前も書きましたが、手前みそながら大変重宝しました。翻訳作業の途中では、英和辞典で引くのはもちろんですが、検索エンジンで事実関係を調べたり、国語辞典で用法を確認したりとさまざまな検索を行うのですが、DictJugglerは一発でいろいろな検索をしてくれます。一般の方はそんなにたくさんの「辞書」をお使いにはならないのかもしれませんが...

2006年4月17日月曜日

日本のサービス(2) — totoのシステム

昔は結構すぐに腹を立てて、損をすることが多かったのですが、最近は年をとったせいか、頭に来ておかしな行動に走ることも少なくなってきていたように思います。 しかし、今日は頭にきました。何に頭に来たかというとtotoのシステムについてです。

小学生サッカーのコーチをやっているくらいですから、サッカーに関心があります。日本のスポーツに振興にもなるし、当たれば当たった出うれしいしというわけで、以前は結構toto(サッカーくじ)を買っていました。ところが、しばらくするといつも買っていた売りが場なくなってしまって、買えなくなってしまいました。

新聞によると、インターネットで買えるようになったとのことなので、それならと思ってアクセスしてみると、特定のクレジットカードかeバンク銀行の口座がいるらしい。そこで、eバンク銀行の口座を開きました。ジャパンネットバンクのように、残高が少なくなっても口座維持管理料を取られることもないし、eバンク銀行間の振込も無料らしいし、「もっと早く作ればよかった」と思ってしまいました。免許証のコピーを送ったりしなければならなかったのでそれなりの手間はかかりましたが。

ここまではOKです。先週依頼したeバンクの口座開設の連絡が無事届いたので、さて、本番。totoのサイトに登録しようと、登録画面を開きました。まず、びっくりしたのがフリガナを「半角カタカナ」で入れろという指示であります。こんなサイトは初めてです。「インターネットでは半角カタカナは使わないでね。文字化けの原因ですから」と長年触れ回ってきた私としては、「許せんサイトだな〜」と言いつつも半角カタカナで入力しました。

ちなみに、住所欄には、よくあるように、全角文字で番地を書くように注意がありました。これもプログラマーの怠慢ですわね。半角→全角数字変換ぐらい自分で書いてくださいよ。たった10文字のことですよ。(ここでお詫びです。弊社のオンラインショップでも住所の数字は全角で入力していただいております。これは出来合いのソフトを買ったためでして私は非常にいやなののですが、コスト削減のため導入した次第です。誠に申し訳ございませんがご了承くださいませ)。

さて、頭に来たのは(ここまででも少し頭に来ていたのですが)そのあとです。全角文字で氏名を入力しているにもかかわらず、「氏名は全角漢字で入力してください」とのメッセージが出て次に進めないのであります。「う〜、どうなっとんじゃ」。仕方がないので、平仮名にしてみたり、半角カタカナで書けと書いてあるフリガナを全角にしてみたり。

全然ダメなので、別ウィンドウにトップページを開いてサイトマップを見ました。どう見つけたか忘れましたが「対応システム」のページにたどり着いて見たら、Windowsだけしか載っていないじゃないですか。げげっ。

  • インターネットのシステムを作っているのにWindowsだけ対応とはどういう了見じゃ!
  • Windowsだけしか対応しないなら、ブラウザのチェックをいれて、「申し訳ございませんが、Windowsのみ対応でございます」と最初に知らせろ!

「これは文句を書かねば気がすまない」と連絡先メールアドレスか連絡用フォームのページを探しました。しかし、どこにもありません。やっとこさ電話番号を見つけたので、どうにも怒りが収まらず電話を掛けてしまいました。「Windowsしか対応していないとはどういう了見ですか? 税金使っているんでしょ。もう2度とtotoを買う気なくなりましたから。ガチャン」。

担当の方ごめんなさい。あなたが悪いんじゃなくて仕様を決めた人が悪いのです。ソフトウェア業界は自動車業界のサービスを見習うべきであります。もちろん、すばらしいサービスを提供しているソフトウェア企業もあるのですが、まだ少ないですよね(我が社もがんばります。ハイ)。

2006年2月3日金曜日

日本のサービス

12月29日に山中湖に行きました。本当はその翌日行く予定だったのですが、「今日の方が天気がよいから、今日行こう」ということになって、富士山の麓の温泉に行くことになりました。もうお昼すぎていたのですが、片道100キロぐらいの距離なので、何とか日帰りできるでしょう。

あわてて着替えや道中で食べるお菓子などを用意して、駐車場に行きます。ドアを開けようとしてキーに付いているアンロックボタンを押します。ところが、ウンともスンとも言いません。「あれれ〜」と思って何度もやってみましたが同じこと。仕方がないので、ドアにキーを差し込んでドアを開けて、中に入ってみると時計の表示も消えているではありませんか。車のバッテリーが上がってしまったのです。寒い日だったので、寒さのせいかとも思ったのですが、後でわかったことですが、後ろのスライド式のドアが半ドアで、ランプがずっと点きっ放しだったようです。

近くのトヨタ修理工場に電話をして来てもらって、バッテリー交換。車検を間近に控えているせいか、年間保証期限内だったせいか2000円ほどでやってくれました。とはいっても、すぐに直ったわけではなくて、結局山中湖行きは翌日になってしまいました。

感心したのは交換をした後です。サービスマンのお兄ちゃん、携帯電話を取り出して、時刻を合わせはじめました。『なかなか、サービス精神が行き届いているな〜。日本のサービスやな〜』と感心しました。

じつは、さらにびっくりしたのです。時刻を合わせ終わったサービスマンの方が、今度はラジオの局を合わせ始めました。AMもFMもひとつひとつ、手際よく。これにはびっくりしましたね。『こりゃ〜、アメリカじゃ絶対やらねえな。韓国でもないだろうな。日本らしいな〜』と自分の住んだことのある国々のサービスと比べてしまいます。

私がたま〜に聞く、NHK第2放送をスキップしていたのはご愛敬でしたが。

2006年2月2日木曜日

翻訳学校の存在意義

翻訳家山岡洋一さんが発行する『翻訳通信』の45号のお知らせが配信されてきました。12月1日にも触れましたが、いつも楽しみにしています。

しかし、今回の記事にはちょっと反論せねばなりません。なぜかというと、「翻訳学校で翻訳を学んでもしょうがない」という話があったからです。私たちが運営しているDHC-オンライン講座は一応「翻訳学校」のひとつですから。

山岡さん曰く、「翻訳学校に行かなくても翻訳は学べる」。これは正しいと私も思います。しかし「翻訳学校に行かずに翻訳を学ぶには、かなりの才能と忍耐力と時間がなければならない」のもこれまた事実だと思うわけです。

かく言う私も、翻訳を学びに翻訳学校に通った経験はありません。学部の学生時代、一度、通信講座を受けましたが、2回ぐらい課題を出したところで挫折しました。あと、日本語の文章の書き方を他の人にも聞いてみたくて、通信講座と通学講座をそれぞれ一度ずつ受講したことがあります。

翻訳学校に通った経験がなくて翻訳やっているのに、翻訳学校をやっているわけですが、それは、翻訳学校で学ぶのが効率がよいと思っているからです。私自身が翻訳学校に通ったことはないのですが、ウチのカミさんは都合二つの翻訳学校に通って、のべ3年ぐらい勉強したように記憶しています。私は、学校には通わずに、カミさんのテキストを盗み見して参考にしたのです(一粒で二度おいしい!)。これはためになりました。私が日頃翻訳で感じていたことが明確な表現で技術として説明されていたのです。

たとえば、「訳し下げ」という概念があるのをこれで知りました。「関係代名詞で後ろから修飾されている場合、学校で習ったように後ろから訳して名詞を修飾するとえらく読みにくい文になる。こういう場合、一旦切って、名詞を訳してしまってから、後の修飾部分の訳した方がよい場合が多い。この手法を『訳し下げ』と言う」といった具合です。それまで、意味を考えてわかりやすく表現するために、こういった手法を名前も知らずに使っていたのですが、カミさんのテキストでお目にかかって以来、その技法が名前で参照できるようになったのです。

添削課題も半分は共同制作です。カミさんがやった課題に私がイチャモンを付ける。それが朱でバッテンされていたりすると「これで、仕事がもらえなくなったらどうするの」と、夫婦げんかのネタになりましたが、「なるほど」と納得するコメントも多かったのです。

確かに、翻訳はひとりで学べます。しかし、翻訳学校も(特にDHC-オンライン講座は(^_^))何が翻訳に大事かを学ぶのに、そして自分の翻訳を客観的に見つめるのにとても役に立つのです。

「山岡さん、ひとりで勉強していたんじゃ、こういう経験はできませんよね?」

2006年1月31日火曜日

英日翻訳と日英翻訳 — 辛いのはどっち?

今、仕事が切り替わる時期で、英→日の翻訳と日→英の翻訳を平行してやっています。複数の翻訳に取り組むことは珍しくないのですが、英→日と日→英を平行してやることはあまり多くありません。二つ同時にやると両者の違いがよくわかります。

改めて、この二つを比較してみて気が付いたことがあります。最終結果の出来はもちろん英→日の方がよいに決まっています。おそらく、自分の書く英語は次の日本語のようなものだと思うのです(この文章、日本語がとてもよくできる韓国人の友人が書いたものなのですが、やっぱりちょっと変ですよね。Xさん、引用お許しを)。

角がたたない方法だといってもうそを付いたことに後ろ髪をひかれる思いもありましたが、その悪いと思った気持ちにも、あと、あのことで迷っていた気持ちにも終止符を付けたい状況です。

これに対して、英→日の場合はやはり母国語が最終結果なので、少なくともごく普通の違和感のない日本語に仕上げるすべは心得ているわけです。ですから、品質ではやはり英→日翻訳の方が勝っているということになると思います。

質の方はさておいて、今度は翻訳の大変さ — というか「苦しさ」と言った方がよいでしょうか — を比べてみましょう。普通の人は、日→英の方が大変そうだと思われるのではないでしょうか? ところが私の場合、大変さの度合いのは英→日の方が大きいように思うのです。

英→日の方は、とにかく疲れます。何が疲れるのか考えてみると、まず、原文の意味をしっかり取るのに疲れます。毎日のように英語に接しているわけですから、表面の意味はだいたいとれるわけですが、それが何を意味しているのか著者の意図がわからない場合が結構あります。いつもいつも自分が大得意の内容ばかりやっていられるのならばよいのですが、今ひとつなじみのない分野の翻訳の場合、一度や二度読んだだけではどういう意味なのかわからない場合があります。日本語で今ひとつなじみのない文章を読んでもそれほどは疲れないのですが、なぜか英語の場合は疲れます。ひょっとすると頭の中でどう訳せばよいか思い浮かばなくて、四苦八苦しているのかもしれません。

そういう場合、どうするかというと一所懸命想像するわけです。『こういう意味かな? それとも、ああかな?』といろいろ考えて、辻褄が合う結論に達するまで(あるいはこんな所かなとひとまず切り上げるまで)悩みます。(このあたり、具体例があった方がわかりやすいと思いますので、意識していてうまい例があったらご紹介しましょう)

もう一つ疲れるのが、特に長い文の場合、どう訳せばよいのかを考えるときです。関係節や分詞などが連続して、後付でいくつもいくつも修飾が続く場合そのまま後ろから訳すとしっちゃかめっちゃか何がなにやらわからなくなりますから、できるだけ明快に訳そうとするわけですが、どうつなげばうまくいくか試行錯誤することになります。私の場合、句や節の単位でともかく訳してしまって、あとでそれを単位として移動するという方法をとることが多いのですが、特に今ひとつ明確に意味がわかっていない場合など、この作業はかなり苦しい場合があります。

ある程度の日本語になってしまえば、それを直すのは、楽しいことさえあります。とくに、私の場合、どうやればコンピュータで処理できるかを考えながらやったりしていると、「なるほど、こういう理屈が後ろにありそうだ」などと思いついたときはととても幸せな気分になれるのです。

しかし、基本的には英→日は苦しいことが多いですね。ストレスがたまります。だから、よくお菓子をつまんだりガムをかんだりしたくなります。昔はお菓子ばっかり食べていたのですが、それだと太ってしまいますからね。

話はちょっとそれますが、このストレスを少し緩和してくれるのが機械翻訳(翻訳ソフト)ですね。詳しくはコラム『機械翻訳 しっかり入門』の第2章に書きましたが、機械翻訳の結果を使うことで、締め付けられるようなストレスが少し緩和されるのです。気分転換の材料とでもいいましょうか。

とろろで、日→英の場合もストレスはたまるのですが、英→日の場合よりは少ないような感じがします。大きいのは入り口が広い、見通しが立つということです。まれに内容がよく理解できない場合はありますが、どんなに長い文でも読むのに辛いということはまずありません。どういう英語に直すかに集中すればよいわけです。ネイティブの人が考えつくような表現はなかなか出てこないのですが、それでも意味を理解してもらえるような表現を考え出すのはそれほど辛いことではありません。思いついた表現の確認に、同じような表現が使われているかを検索エンジンで調べたりといった手間はかかりますが、それほど苦しい仕事ではないのです。

2006年1月4日水曜日

消費税だけにしちゃったらどう?

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

すみません、1ヵ月近くご無沙汰してしまいました。言い訳はなしにして早速今日の話題です。

そうですね、3年ぐらい前からでしょうか、税金について考えていることがあります。「いきなり税金に飛ぶのかよ」とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、一応今年最初の日記なので、日本の将来を少し考えてみようと思うわけです。

もう20年近く前、米国に1年半近く住んでいました。引っ越しに縁がある私は米国でもオハイオ州からペンシルバニア州に引っ越しを経験していましたので、二つの州の生活を経験することができました。おっと、最初のひと月は、語学研修で1ヵ月ほどニューヨーク州にもいましたので、三つの州を経験したのでした。

最初にニューヨーク州はイサカという田舎町で過ごしたのですが、とても面倒だと感じたのが消費税です。ニューヨーク州の消費税率は、6%か7%ぐらいだったと思います。日本の最初の消費税と同様、中途半端な数字ですから、何かを買うと必ずといっていいように半端が出ます。当時はまだ日本には消費税がありませんでしたから、買い物をするたびに、赤茶色の1セント硬貨をいくつか小銭入れから拾い出してお店の人に渡すのがとても面倒でした。

滞在した大学の売店のレジには1セント硬貨がたくさん入った小さな小瓶が置いてあって、「足りなかったら出して使って、余ったら入れてちょうだい」みたいなことが書いてありましたから、米国人もやはり面倒には思っていたようです。日本ではさすがに大学生協でもこんなことはありませんね。

日本に帰ってきて、ひとつホッとしたことは消費税の計算をしなくても良いということでした(もうひとつ、チップの計算をしなくても済むというのもありました、そういえば)。ですから、「日本でも消費税導入か」などと騒ぎ出したときには「絶対反対だ」と思ったものでした(土井さんお元気?)。

そんな私が「消費税推進派」に転向したのはなぜでしょうか。やはり、小さいながらも会社を経営したからでしょうね。会社を経営していると税金の計算が面倒くさいのです。とくに、給与(報酬)に関係するものです。本来、個人の所得にかかる税金は個人が申告して収めるべきもののはずなのに、なぜか日本では源泉徴収という訳の分からない制度になっています。何で個人の税金を会社が面倒見なくちゃいけないの? おまけに税制はコロコロコロコロ変わると来ています。とても片手間でフォローしきれるものではありません。大企業ならばそれなりの部署や担当者がいるわけですが、何から何までやらなければならない小企業の社長にとっては、本来は負担するべき必要のない余計なものだと思うわけです。

源泉徴収はなくすべきだという議論はあちこちで行われているようですが、少なくとも数年で変わる気配はありません。源泉徴収をなくしてくれればいいなと思いながら、ちょっと考えたのが今回の話のきっかけです。考えた結果、いっそのこと所得税そのものをなくしてしまった方が話がらくになりはしないかということになったわけです。もちろん、所得税をなくす代わりに別の税金を取らなければいけないわけですが、それを消費税にするわけです。

消費税を15%とか20%(30%?)にしてしまう。ともかく、所得税の分がまかなえるくらいにするわけです。消費税なら所得隠しはできません。何かを買えば税金を納めることになるのですから。売る側が消費税をきちんと納めないと問題が起こるわけですがそれは今でも同じこと。悪い人は出るでしょうが、税務署にがんばってもらいましょう。

「所得税は累進課税だけど、消費税では一定の率がかかってしまって低所得者が不利ではないか」と思われる方も多いでしょう。この議論はちょっと変だと思うのです。所得が多ければ普通はものをいっぱい買うわけです。だから、所得が多ければ納める税金も多くなります。

年金生活者とかは困るわけですが、それはその分年金を上げましょう。それから、何から何まで15%とか20%にするわけではなくて、食品、衣料などはたとえば5%に据え置くわけです。「ものによって税率が違ったら大変じゃないか」というのは嘘です。私が住んでいたペンシルバニア州では、食品と衣料品は税率が低かった(ゼロではなかったと思います)のですがレシートに税率が書かれているだけで何の問題もありませんでした。そもそも今は内税ですから、消費者は全然困りませんね。食品、衣料などより税率が高い贅沢品を買える人には税金もたくさん収めていただくというわけです。

私でも問題になりそうだと気が付く点としては、所得を海外で使われてしまうと税金が取れないということがあります。あと、同様に外国に住んでいる人が所得を得る場合ですね。海外で税金がかかっても日本には一銭も入ってきません。思いつく方策としては、お金が国を出るときには税金をかけるということになります。いったい何%の税金をかければよいのか難しい問題が残りそうです。

この議論、詰めが甘いところがまだまだあるとは思いますが、ほかにこう言っている人を知らないので書いてみました。