2006年1月31日火曜日

英日翻訳と日英翻訳 — 辛いのはどっち?

今、仕事が切り替わる時期で、英→日の翻訳と日→英の翻訳を平行してやっています。複数の翻訳に取り組むことは珍しくないのですが、英→日と日→英を平行してやることはあまり多くありません。二つ同時にやると両者の違いがよくわかります。

改めて、この二つを比較してみて気が付いたことがあります。最終結果の出来はもちろん英→日の方がよいに決まっています。おそらく、自分の書く英語は次の日本語のようなものだと思うのです(この文章、日本語がとてもよくできる韓国人の友人が書いたものなのですが、やっぱりちょっと変ですよね。Xさん、引用お許しを)。

角がたたない方法だといってもうそを付いたことに後ろ髪をひかれる思いもありましたが、その悪いと思った気持ちにも、あと、あのことで迷っていた気持ちにも終止符を付けたい状況です。

これに対して、英→日の場合はやはり母国語が最終結果なので、少なくともごく普通の違和感のない日本語に仕上げるすべは心得ているわけです。ですから、品質ではやはり英→日翻訳の方が勝っているということになると思います。

質の方はさておいて、今度は翻訳の大変さ — というか「苦しさ」と言った方がよいでしょうか — を比べてみましょう。普通の人は、日→英の方が大変そうだと思われるのではないでしょうか? ところが私の場合、大変さの度合いのは英→日の方が大きいように思うのです。

英→日の方は、とにかく疲れます。何が疲れるのか考えてみると、まず、原文の意味をしっかり取るのに疲れます。毎日のように英語に接しているわけですから、表面の意味はだいたいとれるわけですが、それが何を意味しているのか著者の意図がわからない場合が結構あります。いつもいつも自分が大得意の内容ばかりやっていられるのならばよいのですが、今ひとつなじみのない分野の翻訳の場合、一度や二度読んだだけではどういう意味なのかわからない場合があります。日本語で今ひとつなじみのない文章を読んでもそれほどは疲れないのですが、なぜか英語の場合は疲れます。ひょっとすると頭の中でどう訳せばよいか思い浮かばなくて、四苦八苦しているのかもしれません。

そういう場合、どうするかというと一所懸命想像するわけです。『こういう意味かな? それとも、ああかな?』といろいろ考えて、辻褄が合う結論に達するまで(あるいはこんな所かなとひとまず切り上げるまで)悩みます。(このあたり、具体例があった方がわかりやすいと思いますので、意識していてうまい例があったらご紹介しましょう)

もう一つ疲れるのが、特に長い文の場合、どう訳せばよいのかを考えるときです。関係節や分詞などが連続して、後付でいくつもいくつも修飾が続く場合そのまま後ろから訳すとしっちゃかめっちゃか何がなにやらわからなくなりますから、できるだけ明快に訳そうとするわけですが、どうつなげばうまくいくか試行錯誤することになります。私の場合、句や節の単位でともかく訳してしまって、あとでそれを単位として移動するという方法をとることが多いのですが、特に今ひとつ明確に意味がわかっていない場合など、この作業はかなり苦しい場合があります。

ある程度の日本語になってしまえば、それを直すのは、楽しいことさえあります。とくに、私の場合、どうやればコンピュータで処理できるかを考えながらやったりしていると、「なるほど、こういう理屈が後ろにありそうだ」などと思いついたときはととても幸せな気分になれるのです。

しかし、基本的には英→日は苦しいことが多いですね。ストレスがたまります。だから、よくお菓子をつまんだりガムをかんだりしたくなります。昔はお菓子ばっかり食べていたのですが、それだと太ってしまいますからね。

話はちょっとそれますが、このストレスを少し緩和してくれるのが機械翻訳(翻訳ソフト)ですね。詳しくはコラム『機械翻訳 しっかり入門』の第2章に書きましたが、機械翻訳の結果を使うことで、締め付けられるようなストレスが少し緩和されるのです。気分転換の材料とでもいいましょうか。

とろろで、日→英の場合もストレスはたまるのですが、英→日の場合よりは少ないような感じがします。大きいのは入り口が広い、見通しが立つということです。まれに内容がよく理解できない場合はありますが、どんなに長い文でも読むのに辛いということはまずありません。どういう英語に直すかに集中すればよいわけです。ネイティブの人が考えつくような表現はなかなか出てこないのですが、それでも意味を理解してもらえるような表現を考え出すのはそれほど辛いことではありません。思いついた表現の確認に、同じような表現が使われているかを検索エンジンで調べたりといった手間はかかりますが、それほど苦しい仕事ではないのです。

2006年1月4日水曜日

消費税だけにしちゃったらどう?

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

すみません、1ヵ月近くご無沙汰してしまいました。言い訳はなしにして早速今日の話題です。

そうですね、3年ぐらい前からでしょうか、税金について考えていることがあります。「いきなり税金に飛ぶのかよ」とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、一応今年最初の日記なので、日本の将来を少し考えてみようと思うわけです。

もう20年近く前、米国に1年半近く住んでいました。引っ越しに縁がある私は米国でもオハイオ州からペンシルバニア州に引っ越しを経験していましたので、二つの州の生活を経験することができました。おっと、最初のひと月は、語学研修で1ヵ月ほどニューヨーク州にもいましたので、三つの州を経験したのでした。

最初にニューヨーク州はイサカという田舎町で過ごしたのですが、とても面倒だと感じたのが消費税です。ニューヨーク州の消費税率は、6%か7%ぐらいだったと思います。日本の最初の消費税と同様、中途半端な数字ですから、何かを買うと必ずといっていいように半端が出ます。当時はまだ日本には消費税がありませんでしたから、買い物をするたびに、赤茶色の1セント硬貨をいくつか小銭入れから拾い出してお店の人に渡すのがとても面倒でした。

滞在した大学の売店のレジには1セント硬貨がたくさん入った小さな小瓶が置いてあって、「足りなかったら出して使って、余ったら入れてちょうだい」みたいなことが書いてありましたから、米国人もやはり面倒には思っていたようです。日本ではさすがに大学生協でもこんなことはありませんね。

日本に帰ってきて、ひとつホッとしたことは消費税の計算をしなくても良いということでした(もうひとつ、チップの計算をしなくても済むというのもありました、そういえば)。ですから、「日本でも消費税導入か」などと騒ぎ出したときには「絶対反対だ」と思ったものでした(土井さんお元気?)。

そんな私が「消費税推進派」に転向したのはなぜでしょうか。やはり、小さいながらも会社を経営したからでしょうね。会社を経営していると税金の計算が面倒くさいのです。とくに、給与(報酬)に関係するものです。本来、個人の所得にかかる税金は個人が申告して収めるべきもののはずなのに、なぜか日本では源泉徴収という訳の分からない制度になっています。何で個人の税金を会社が面倒見なくちゃいけないの? おまけに税制はコロコロコロコロ変わると来ています。とても片手間でフォローしきれるものではありません。大企業ならばそれなりの部署や担当者がいるわけですが、何から何までやらなければならない小企業の社長にとっては、本来は負担するべき必要のない余計なものだと思うわけです。

源泉徴収はなくすべきだという議論はあちこちで行われているようですが、少なくとも数年で変わる気配はありません。源泉徴収をなくしてくれればいいなと思いながら、ちょっと考えたのが今回の話のきっかけです。考えた結果、いっそのこと所得税そのものをなくしてしまった方が話がらくになりはしないかということになったわけです。もちろん、所得税をなくす代わりに別の税金を取らなければいけないわけですが、それを消費税にするわけです。

消費税を15%とか20%(30%?)にしてしまう。ともかく、所得税の分がまかなえるくらいにするわけです。消費税なら所得隠しはできません。何かを買えば税金を納めることになるのですから。売る側が消費税をきちんと納めないと問題が起こるわけですがそれは今でも同じこと。悪い人は出るでしょうが、税務署にがんばってもらいましょう。

「所得税は累進課税だけど、消費税では一定の率がかかってしまって低所得者が不利ではないか」と思われる方も多いでしょう。この議論はちょっと変だと思うのです。所得が多ければ普通はものをいっぱい買うわけです。だから、所得が多ければ納める税金も多くなります。

年金生活者とかは困るわけですが、それはその分年金を上げましょう。それから、何から何まで15%とか20%にするわけではなくて、食品、衣料などはたとえば5%に据え置くわけです。「ものによって税率が違ったら大変じゃないか」というのは嘘です。私が住んでいたペンシルバニア州では、食品と衣料品は税率が低かった(ゼロではなかったと思います)のですがレシートに税率が書かれているだけで何の問題もありませんでした。そもそも今は内税ですから、消費者は全然困りませんね。食品、衣料などより税率が高い贅沢品を買える人には税金もたくさん収めていただくというわけです。

私でも問題になりそうだと気が付く点としては、所得を海外で使われてしまうと税金が取れないということがあります。あと、同様に外国に住んでいる人が所得を得る場合ですね。海外で税金がかかっても日本には一銭も入ってきません。思いつく方策としては、お金が国を出るときには税金をかけるということになります。いったい何%の税金をかければよいのか難しい問題が残りそうです。

この議論、詰めが甘いところがまだまだあるとは思いますが、ほかにこう言っている人を知らないので書いてみました。