2006年2月3日金曜日

日本のサービス

12月29日に山中湖に行きました。本当はその翌日行く予定だったのですが、「今日の方が天気がよいから、今日行こう」ということになって、富士山の麓の温泉に行くことになりました。もうお昼すぎていたのですが、片道100キロぐらいの距離なので、何とか日帰りできるでしょう。

あわてて着替えや道中で食べるお菓子などを用意して、駐車場に行きます。ドアを開けようとしてキーに付いているアンロックボタンを押します。ところが、ウンともスンとも言いません。「あれれ〜」と思って何度もやってみましたが同じこと。仕方がないので、ドアにキーを差し込んでドアを開けて、中に入ってみると時計の表示も消えているではありませんか。車のバッテリーが上がってしまったのです。寒い日だったので、寒さのせいかとも思ったのですが、後でわかったことですが、後ろのスライド式のドアが半ドアで、ランプがずっと点きっ放しだったようです。

近くのトヨタ修理工場に電話をして来てもらって、バッテリー交換。車検を間近に控えているせいか、年間保証期限内だったせいか2000円ほどでやってくれました。とはいっても、すぐに直ったわけではなくて、結局山中湖行きは翌日になってしまいました。

感心したのは交換をした後です。サービスマンのお兄ちゃん、携帯電話を取り出して、時刻を合わせはじめました。『なかなか、サービス精神が行き届いているな〜。日本のサービスやな〜』と感心しました。

じつは、さらにびっくりしたのです。時刻を合わせ終わったサービスマンの方が、今度はラジオの局を合わせ始めました。AMもFMもひとつひとつ、手際よく。これにはびっくりしましたね。『こりゃ〜、アメリカじゃ絶対やらねえな。韓国でもないだろうな。日本らしいな〜』と自分の住んだことのある国々のサービスと比べてしまいます。

私がたま〜に聞く、NHK第2放送をスキップしていたのはご愛敬でしたが。

2006年2月2日木曜日

翻訳学校の存在意義

翻訳家山岡洋一さんが発行する『翻訳通信』の45号のお知らせが配信されてきました。12月1日にも触れましたが、いつも楽しみにしています。

しかし、今回の記事にはちょっと反論せねばなりません。なぜかというと、「翻訳学校で翻訳を学んでもしょうがない」という話があったからです。私たちが運営しているDHC-オンライン講座は一応「翻訳学校」のひとつですから。

山岡さん曰く、「翻訳学校に行かなくても翻訳は学べる」。これは正しいと私も思います。しかし「翻訳学校に行かずに翻訳を学ぶには、かなりの才能と忍耐力と時間がなければならない」のもこれまた事実だと思うわけです。

かく言う私も、翻訳を学びに翻訳学校に通った経験はありません。学部の学生時代、一度、通信講座を受けましたが、2回ぐらい課題を出したところで挫折しました。あと、日本語の文章の書き方を他の人にも聞いてみたくて、通信講座と通学講座をそれぞれ一度ずつ受講したことがあります。

翻訳学校に通った経験がなくて翻訳やっているのに、翻訳学校をやっているわけですが、それは、翻訳学校で学ぶのが効率がよいと思っているからです。私自身が翻訳学校に通ったことはないのですが、ウチのカミさんは都合二つの翻訳学校に通って、のべ3年ぐらい勉強したように記憶しています。私は、学校には通わずに、カミさんのテキストを盗み見して参考にしたのです(一粒で二度おいしい!)。これはためになりました。私が日頃翻訳で感じていたことが明確な表現で技術として説明されていたのです。

たとえば、「訳し下げ」という概念があるのをこれで知りました。「関係代名詞で後ろから修飾されている場合、学校で習ったように後ろから訳して名詞を修飾するとえらく読みにくい文になる。こういう場合、一旦切って、名詞を訳してしまってから、後の修飾部分の訳した方がよい場合が多い。この手法を『訳し下げ』と言う」といった具合です。それまで、意味を考えてわかりやすく表現するために、こういった手法を名前も知らずに使っていたのですが、カミさんのテキストでお目にかかって以来、その技法が名前で参照できるようになったのです。

添削課題も半分は共同制作です。カミさんがやった課題に私がイチャモンを付ける。それが朱でバッテンされていたりすると「これで、仕事がもらえなくなったらどうするの」と、夫婦げんかのネタになりましたが、「なるほど」と納得するコメントも多かったのです。

確かに、翻訳はひとりで学べます。しかし、翻訳学校も(特にDHC-オンライン講座は(^_^))何が翻訳に大事かを学ぶのに、そして自分の翻訳を客観的に見つめるのにとても役に立つのです。

「山岡さん、ひとりで勉強していたんじゃ、こういう経験はできませんよね?」