今日は、毎週通っている「ストレッチ&呼吸法教室」の番外編のアートセラピーの教室に参加。
以前も3度ほど出たことがあるのだけれど、絵を描くこと自体は嫌いではなかったのだけれど、どうも「シェアリング」というのがいやだった。みんなに絵を見せ合って、それで気づいたことを話し合うのだが、どうも他人と個人的なことを話し合うのが嫌で、それで止めてしまったのだった。1対1とかで話し合ったりするのならばともかく、なんかわざとらしくて耐えられないのだ。
今回また参加することにしたのは、ひとつは講師の先生が替わったこと。私と同年齢ぐらいの男の先生に代わった。具体的には言えないのだけれど何となくよかった。
そしてもうひとつの理由は先日出版された『リファクタリング・ウェットウェア』を訳したから。『「リファクタリング・ウェットウェア』とアートセラピーとどう関係するかというと、ひとつにはこの本の最初の方の参考文献に『脳の右側で描け』という、「絵を上手に描けるようになる」という本があって、それがけっこう面白かったから。そして、どうも絵を描くという作業はRモード(『リファクタリング・ウェットウェア』で著者がいわゆる「右脳」が働いて言う状態を指している言葉)を使う作業らしいと感じるから。
昔、図画工作や美術の時間は嫌いだった。中学1年のときには、通知表で5段階の2をとってしまって、母親が心配して美術の先生に特別に相談に行ったくらい(ある日、廊下を歩いていたら、参観日でもないのになぜか母親が歩いていて、ビックリした。家へ帰ってから尋ねたら、そういうことだったらしい)。担任の先生にも、ホームルームの時間だったか、面と向かってではなかったものの「2があっては高校に行けるかどうかも危ないくらいだ」と私の方を向いて言われてしまったし。あれは明らかに俺に向けてのメッセージだった。
その頃は、一体絵を描くのが何が楽しいのかまったく理解ができず、どう描いたらいいのかもさっぱり見当がつかなかった。その後、なんとなく自分の持ち味を発揮して自分が描きたいように描けばよいのだということがわかってきて、少し成績も持ち直し、卒業時には通知表も4になった。美術に関しては、私はコツコツと地道にていねいにやるのがよいらしいということがわかったのだ。多くのことに関しては、コツコツタイプではまったくなくて、さっさとかたづけちゃえというタイプだと思うのだけれど(ただし翻訳はコツコツやらないと終わらない!)。
その後、高校では芸術の選択科目としては音楽を選んでしまったし、高校を出てからも、自らすすんで絵を描いたりすることはしなかった。パソコンでお絵かきソフトができた頃にはすこし遊びはしたけれど。
上の本を読んでいる最中に、息子の通っている中学校の美術の先生が2時間程度の「絵画教室」を開いてくださるという偶然も重なって、そちらにも出てみたのだけれど、こちらはどうも違ったようだった。全然ピンとこない「授業」だった。
ただし、同じ題材(リンゴと白菜だった)を描いていたグループに、一人、とても絵が上手な若い女性がいて、その人に書いているときの感覚とかを質問することができて、それはとてもおもしろかった。後で、カミさんがPTAの集まりに行ったときに、その女性が息子の同級生のお姉さんだったということがわかるという偶然も重なって、これまたおもしろかった。世の中いろいろな人がつながって生きているのですね。