日曜日の新聞に「恐竜はなぜ鳥に進化したのかと―絶滅も進化も酸素濃度が決めた」という本の書評があった。 ある本を訳してから、こうした場合に「進化」という言葉を使うことに違和感をおぼえるようになった。
「進化」というとある動物が自分から形態を変えていったように思えてしまう。一匹の動物が成長するにつれて、形態を変えていったかのようにさえ思えてしまうほどだ。
実際には、何百万年、何千万年、ひょっとすると何億年という月日が経過して、はじめて「進化」がなされるのだけれど。
「恐竜」が「鳥」に「進んで化けた」のではない。「恐竜」が突然変異を起こして色々に変化したけれど、そのうち「鳥」になったものが生き残ったのだ。途中の過程で生存していたほとんどの種は死に絶えてしまったのだ。
こんな風に思うようになったのは、『海洋大図鑑』という本を訳してからだ。500ページを超える巨大な本で、海洋に生息するありとあらゆる種類の生物が海に関する諸々とともに詳しく紹介されている。とくに面白かったのが「オスの唯一の役目は、メスの卵を受精させることである」と記述されている「ボネリムシ」という海中生物。オスとメスの役割分担を見ても、生物によって実にさまざまなのだ(人間のように種の中でも、雄雌の役割分担に色々あるのは珍しいのだろうか)。
現在の形態に突然変異をしたから現在の環境に適応しているわけで、ずっと同じ形態でいた生物はほとんどが何らかの環境変化によって死に絶えてしまった。だから、他の種が死に絶えて「生き残った」と捉えるべきだと思うのだ。意図して進んだわけではなく、偶然の結果なのだ。