2008-09-21

阿部の胸のリボン

プロ野球も終盤戦。今日は天王山の巨人-阪神戦でした。江川問題以来、巨人ファンをやめてしまった私ですが、ヤクルト-横浜戦が中止になって見られなかったこともあって、久しぶりにちょっぴりテレビ観戦をしました。

試合の方は途中で阪神が逆転されてしまったのですが、それよりも気になったのが、キャッチャー阿部の胸に飾られた「リボン」であります。

「見て、見て、阿部が胸にリボン付けてるよ」
「本当だ、何だろう。乳ガン撲滅運動か何かかな? それにしても、あんな所につけるかな?」
「なんか、カワイイね。お嬢様みたい」

などとひとしきり盛り上がってしまいました。

その正体は果たして何なのでしょうか? 興味を持たれた方は、巨人戦の野球中継をご覧ください。もっとも最近は地上波での中継があまりなくなってしまいましたが。

その正体を知った私たちは、「ちょっとね〜。ミスマッチすぎるよね。考えてんのかな〜」と悪口を言ったのでした。来年は、「胸のリボン」はなくなっていることを期待します。

2008-08-23

昨日の今日で、G.G.のスタメンはナシでしょう

あまりにひどいと思うので、2回続けてオリンピックネタです。私には、昨日の試合で2つもドヘマをやらかした、G.G.佐藤を先発で起用する理由が見つかりません。勝つ気がないとしか思えない采配です。

昔の星野はどこに行ったのでしょう。あの、感情むき出しの熱血漢の星野はどこに行ってしまったのでしょう。何? G.G.に挽回のチャンスを与えた? 甘い、甘い。エラーをした奴は引っ込められる、それが勝負というものでしょう。ましてや、これで飯を食っているプロなのですから。

G.G.は自分で落とし前をつけるしかないのです。日本へ帰って一所懸命練習して、押しも押されぬ大打者になって、もう一度日本代表に選ばれて、それで挽回するしかないのです。

阪神の監督を2年やって、ほとんどの精力を使い果たしてしまったのではないかと思ってしまった、今回の星野監督の采配でした。

しかし、ソフトボール・チームはよく頑張った。覚悟が違う。

あそこで岩瀬はないでしょう

今回のオリンピックは時差がないので、仕事をしながらも気になって、ちょくちょく見てしまっています。昨日の野球の準決勝も、ついつい見てしまいました。

星野さん、あそこで「ピッチャー、岩瀬!」はないでしょう。今年の岩瀬は調子よくありません。そして、北京でも調子よくありませんでした。前の試合でも岩瀬が打たれて負けました。そのことを百も承知のイ・スンヨプが待ちかまえているのです。これで岩瀬を持ってくるのは、ないでしょう。

なんか、全然流れに乗っていなかったですよね、今回の野球は。 星野さんのことは、明治大学時代に審判にイチャモンを付けていた頃から、その熱血漢ぶりが大好きでしたが、どうも今回は冴えなかった。王さんの後を継ぐというプレッシャーに押しつぶされたのでしょうか。山本浩二も、田淵も監督・コーチとしてはいまいち輝きがないですね〜。

こうなったら、韓国優勝してね! かつて、ソウルで一緒に働いていた仲間は喜んでいるだろうなあ。それを思うと、ちょっぴりよかったかもしれないけれど...

翌日追加

今日知ったのですが、岩瀬の北京オリンピックは成績は0勝3敗です。全体で9試合やって5敗して、そのうちの3つを岩瀬で負けているわけです。これが采配のミスでなくてなんなのでありましょうか。

2008-07-01

翻訳通信発行

翻訳家 山岡洋一さんのメルマガ『翻訳通信』の今月号が発行された。

今回面白かったのが、8ページからの日本語と英語の「繰り返し」の違いに関する話。私も以前書いたメルマガのコラムで重複について取り上げたことがあるが、さすが山岡さん、私がプログラムする時間も翻訳や英語の勉強をなさっているし、人生の先輩でもあるので、私よりも知識が深い(プログラマーの視点も加えるというのが、私のウリかな)。

翻訳に興味をお持ちの方は、一読をおすすめ。

2008-06-13

iPhoneはゲーム機だよね?

昔、Appleの開発者会議の話題といえば、Macintoshの新機種の発表だったものだけれど、今回、Macintoshの新しいハードウェア関する話題は皆無。ゼロ。

ジョブズの基調講演を聴いた雰囲気では、日本の一般プレスが大挙して訪れたのではないかと感じた。

「これはゲーム機じゃん」というのが私の感想。Appleの「敵」はもはやマイクロソフトではなく任天堂なのではないだろうか。

電話もできるし、音楽も聴ける、インターネットもできる。でもこれからを考える上で忘れられないのは、高性能のゲーム機だということ。

学生時代は、ゲームを作って遊んだこともあるけれど、また再開しようかなどとちょっぴり思ってしまった、新iPhoneの誕生です。まあ、まずはDictJuggler MiniをiPhoneでもうまく使えるように改造してみましょうかね。

手に入れないことには話になりませんが、とうとう2002年に買って使い続けてきたPHSに別れを告げて、ソフトバンクの顧客になることを決心してしまいました(ソフトバンクは、なんとなく今ひとつ好きになれないのだけれど……)。

2008-04-23

「進化」じゃなくて「生き残り」

日曜日の新聞に「恐竜はなぜ鳥に進化したのかと―絶滅も進化も酸素濃度が決めた」という本の書評があった。 ある本を訳してから、こうした場合に「進化」という言葉を使うことに違和感をおぼえるようになった。

「進化」というとある動物が自分から形態を変えていったように思えてしまう。一匹の動物が成長するにつれて、形態を変えていったかのようにさえ思えてしまうほどだ。

実際には、何百万年、何千万年、ひょっとすると何億年という月日が経過して、はじめて「進化」がなされるのだけれど。

「恐竜」が「鳥」に「進んで化けた」のではない。「恐竜」が突然変異を起こして色々に変化したけれど、そのうち「鳥」になったものが生き残ったのだ。途中の過程で生存していたほとんどの種は死に絶えてしまったのだ。

こんな風に思うようになったのは、『海洋大図鑑』という本を訳してからだ。500ページを超える巨大な本で、海洋に生息するありとあらゆる種類の生物が海に関する諸々とともに詳しく紹介されている。とくに面白かったのが「オスの唯一の役目は、メスの卵を受精させることである」と記述されている「ボネリムシ」という海中生物。オスとメスの役割分担を見ても、生物によって実にさまざまなのだ(人間のように種の中でも、雄雌の役割分担に色々あるのは珍しいのだろうか)。

現在の形態に突然変異をしたから現在の環境に適応しているわけで、ずっと同じ形態でいた生物はほとんどが何らかの環境変化によって死に絶えてしまった。だから、他の種が死に絶えて「生き残った」と捉えるべきだと思うのだ。意図して進んだわけではなく、偶然の結果なのだ。