2010-01-19

役者と訳者

近くの老人施設に住む義母が時々我が家に遊びに来る。義母はミステリーが結構好きだ。家内が義母が来たとき一緒に見られるテレビ番組を探していたところ、モンクという探偵が出るテレビシリーズに出会った。モンクは神経症的な探偵で、その仕草がとてもおもしろい。

先日放送されていた回は、モンクをモデルにしたテレビドラマが作られるという話。モンクに扮する役者が役に入れ込むあまり、モンク並みの神経症になってしまって、危うく殺人を犯してしまいそうになるという話だった。

これを見ていて「役者と訳者」は似たところがあるなと思った。フリガナを振ればどちらも「ヤクシャ」になる(アクセントの位置は違うけれど)。それは表面的なことだが(案外本質的だったりするのかもしれないが)対象に入り込むという点でも似ているのだ。

役者の場合は明白だろう。演じる人に入り込むことになる。モンクを演じようとしていた役者は、モンクに入り込むあまり自分も神経症になってしまった。

昔、ある作家の半生を描いたテレビドラマで、その主人公を演じていた役者が、主人公の未亡人から「まるで主人が生き返ったようです」と言われたのを耳にしたことがあるが、ここまで演じる人に入り込めればたいした役者だろう。

世間の方々はそういう認識はお持ちでないと思うのだが、じつは訳者も原著者に入り込むことがある。 訳者が「これはよい本だ」「この著者はすごい」と思うような本では特にだ。

原著者の描き出す世界にどっぷりと浸って、原著者に代わってその世界を描写するのが訳者の仕事だ。著者の気持ちになって、著者に気持ちを寄せて文章を訳しているうちに、原著者が乗り移ったような感覚になり、奇妙な一体感を味わうことになる。

スケーラブルWebサイト』という本を訳していたとき、これは理系の専門書なのだけれども、著者の思い入れが伝わってきて、息苦しくなるくらいの本だった。 (このときの経験については、DHCのメルマガのページに書いたのでこちらをどうぞ)。

原著者の描き出す世界に浸るのは心地よいことが多いのだが、場合によっては苦しかったり、ストレスがたまったりすることもある。

原著者と意見を異にすることが多い本や自分が好きではない世界を描く書籍の場合は、逆に突き放した感じになる。「なにを言ってるんだ、こんなバカなことがあるわけがないじゃないか」と思っていては、著者の中に入り込めないのだ。技術書の場合ならば、裏付けを取って間違いを直してしまうのでそれ程のストレスは感じない(この種の修正は出版社からだいたいOKが出る)。

一番辛かったのは『戦争の世界史 大図鑑』という本を訳したときだった。全編が、戦争 ── つまり人殺し ── に関する記述なのだ。「これまでの人類の歴史は(極端な言い方をすれば)戦争の歴史である」という事実を突きつけられる本だった。細かいことを書くと、このときのことを思い出してしまいそうなので、このあたりで止めておくことにしよう。

というわけで、できれば心地よい本だけを訳していられたらよいのだけれど……。

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